オフィス「和み」

ネットで「小学校教育」を支援・助言します。

子・親・教師と接する
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子どもは教師の本心を見抜く力を持っている
①教師の言動には、本心が表れる

 娘が父親を嫌う時期は、「父親の臭いがその要因になっている可能性がある」と聞きました。つまり、子孫を残すことができる体勢が整った娘が、父親を好きになってはならないということでしょうか。そして、娘が出産した後は、「守ってもらうために父親の臭いを求める」と言うのです。このような能力は、科学的には証明されていませんが、可能性があると思っています。
 同じように、子どもには自分を守ってくれる人を見抜く力をもっています。子どもの生活時間の半分を占める学校生活で、教師は子どもから観られています。一挙手一投足を子どもが見ています。子どもの本能で教師の本心を見抜くのです。
 次のような発言から、子どもの本能は、どのように働くのでしょうか。いっしょに考えてみましょう。

 
休み時間に友達と教室で遊んでいて、誤ってガラスを割ってしまいました子どもへの最初の一言です。あなはた、ABCのどの言葉を一番言いますか?

 A…割れたガラスをどうするの?
 B…何をしていて、ガラスを割ったの?
 C…怪我はなかったの?

 Aは「ガラス」が中心、Bは「原因」が中心、Cは「子ども」が中心だと分かりますね。とっさの時こそ本心が表れます。学級で生活する子ども一人一人を見つめる心が教師には必要です。あなたなら、最初に何を尋ねてほしいですか? 瞬時の判断は人柄が表れます。


②目は口ほどにものを言う

 
教師が子ども達を見つめる目には、教師の心が反映されています。教師の目は「〇〇〇〇光線」が必要です。この<〇〇〇〇光線とは?>と、C小学校(ブログ参照)の先生達に質問させてもらいました。
 時間もなかったので、ヒントとして「〇き〇き光線です。」と投げかけました。先生から帰ってきた光線名は、次の3つでした。さらに、Dが新たに加わり「4つ」になりました。


A…うきうき光線
B…生き生き光線
C…好き好き光線
D…ドキドキ光線

 あなたが、子ども達と国語の授業をしている時、どの光線を出しているのでしょうか? 
Aは「子ども達の考えや授業展開が楽しく仕方がない教師の表
   情」が浮かんできます。
Bは「教師として人生の先輩として、はつらつとした教師の表情」
   が見えるようです。
Cは「君たちがそこに存在するだけで満足している教師の表情」
   が想像されます。
Dは「日々新しい瞬間を楽しもうとする教師の表情と心意気」が伝わってきます。


 国語の授業だけではなく、子ども達の前に立つ教師は、常に〇き〇き光線を出していてほしいです。
<先生が出している光線は、ABCDのどれに近いかな?>と、学級の子ども達に尋ねられるあなたなら、学級集団作り・学習集団作りが順調な証拠ですよ。


③子どものプライドを大切にする

 
掃除時間に見回っている時、6年生だけが手を止めている姿が目に入ってきました。あなたなら、ABCのどの言葉を使いますか?

A…掃除しなさい。
B…掃除をさぼるな。
C…掃除しているように見えないよ。

 掃除時間は15分間ぐらいあります。教師が通りかかった時の6年生の姿は一瞬のものでした。Bの声かけは「全否定」として受け取られます。Aは「掃除をしていない」と決めつけています。一瞬の子の様子を「見える」と表現するのはとても自然であり、子どものプライドを傷つけない声かけだと思っています。


④理由を明確にする
 
 
子どもは未熟ですから失敗することが多くあります。人間関係形成能力も未発達で友達との喧嘩や意地悪も絶えません。そんな時、教師は指導します。その指導の仕方「怒り・叱る」について考えてみましょう。叱ると怒るとは違います。

・叱るは「目下の者の言動のよくない点などを指摘して強くとがめ
      る。」
・怒るは「不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表
      す。腹を立てる。慨する。」

 「怒る」は感情が入っています。ですから若い時に、「教師は叱っても怒ってはいけない」と先輩から聞きました。体罰が許されない教師ですから、「叱る」は教師にぴったりの言葉です。しかし、私は「教師であっても怒っても良い」と考えています。我慢できない気持ちを子ども達に伝える必要があると考えます。
 それが「いじめ」があった時です。意地悪な心や無関心な心で他人・相手を阻害することは絶対に許されません。そんな行為・言動は、人間として我慢できません。だから、怒りがこみ上げてきます。
 ただし怒った時、子ども達に<なぜ先生は、こんなに激怒しているのか>の理由を正確に伝えなければなれません。日々「好き好き」を出している先生が、鬼みたいに激怒している理由を子ども達の心の届けることが重要です。叱って子どもの心を揺さぶることができる教師なら良いのですが、いじめ問題(いじめにつながる事件等)は絶対に許さないとことを教師自身が示さなければらならないと考えるからです。
 言うまでもなく、体罰は許されません。体罰ではなく、子ども一人一人の心を揺さぶり健全な成長へと導く指導であれば、「怒るもありだ」と私は考えます。教師として、大人として、人間として、怒っている理由を届けることが教育です。


保護者への接し方

保護者を支える教師の心構え
 保護者は「我が子」が中心です。我が子の言うことを信じ、我が子のために頑張るのが当たり前です。この「我が子中心」という社会現象は、「私事化」の現れなのです。
 「私事化」について理解しておいてください。
 いずれの社会でも社会的な空間領域は「官と民」、「公と私」に二分できる。2つの領域の比重は、当該の社会や歴史的な段階によって異なる。その比重が、「官から民へ」「公から私へ」と高まる社会全体の動向を私事化という。
 「私事化」は、制度から社会意識にまで現れ、社会の深層の大きな1つの底流となっている。
制度上の私事化は、日本社会では1970年代の「民営化」の流れによって始まる。人々の関心や価値観は1980年代に「私生活中心主義」「私さがし」「私大航海時代」などで大きく変化する。
 私事化は共同性のゆらぎとして現れる。個人側から「私事化」を見れば、今までのように組織や集団に意味を見出すことができなくなり、私生活の中に意味を見出そうとする動向として現れる。

 「私事化」のライフスタイルや行動は、「公」が減少し「私」が活発になる。「滅私奉公」型→「減公活私」型といえる。

※ 平成19年4月28日(土)、県教育センター主催「管理職のため」研修会が開催され、
 講師「(当時)大阪樟蔭女子大学 森田 洋司学長」のご講演を拝聴した時の一部です。

 この私事化の流れから言うと、保護者が「我が子中心」になるのは当たり前なのです。ところが、教師としては学級一人一人=集団全体の育成を考えている。そこに、ずれが生じます。この生じたずれを理解して「保護者に接する」ことが大切なのです。
 保護者は一方的に「我が子中心に話をする」ことを理解していれば、「分かりました。学級全体に注意しておきます」と、瞬時に答えられます。保護者の宝物である一人一人の子ども。子どもの成長にために頑張っている保護者を支える気持ちを持つことが、これからの教育を推進していく教師の力量とも言えます。
ズックがなくなった子と保護者への対応!(一例として)
 「先生。私のズックがありません。」と下校時に女の子が私に言いました。私は冗談顔で「誰かに恨まれている?」と尋ね、そして、「気にしない。嫌がらせのためにズックを隠したのだから、あなたが困っていたら、思うつぼになるので、絶対に気にしない。先生が新しいズックを買ってあげる。お家の人に電話しておくから、今日は内履きで帰ってね。」といいました。女の子はすっきりした表情になり下校しました。
 夕方、お家の人に電話しました。「〇〇さんから話を聞いたと思うのですが、私が新しいズックを買いますので気にしないでください。ズックを隠すのは卑怯なことですが、絶対に気にしないでほしいのです。気にすると、また隠くすことになります。それより、先生に新しいズック買ってもらえるなんてラッキーと言ってくださいね。ご家族にも私の考えを伝えておいてください。」と話しました。
 その時、「安心しました。子どもがいじめに遭っているのかと思うと不安だったのですが、先生の言うとおりですね。でも、ズックは私が買いますから。」との返事でした。
 私は続けました。「まだ、買わないでください。明日、学級でズック隠しのことを子ども達に話しますから。きっと見つかりますよ。見つからなかったら、私がプレゼンしますよ。」と…。
 
 電話を切って、明日の学級指導をシミュレーションをしました。 子ども達には、
①言いたいことがあったら、面と向かって話をすること。先生が間に入ってもいいよ。
②人を困らせて自分が喜ぶ心は誰もが持っている。でも、今日からそんな心を捨てよう。
③犯人を見つけるのではなく、ズックをみんなで探そう。
④〇〇さんのズックが出てこなかったら、先生が新しいズックをプレゼントします。  などと…。

 ズックは出てきました。
 「△△さんが探し出してくれたよ。」「〇〇さん。△△さんが、見つけてくれたよ。感謝の言葉をどうぞ。」〇〇さん「ありがとう。」「みんなで、△△さんに拍手」。と私。
 学級指導大成功でした。ところが、△△さんは浮かない顔をしていました…。休み時間に△△さんに「どうしたの?。〇〇さんのために頑張った君がすっきりしていないのは、どうして?」と声をかけました。△△さんは涙ぐみ、黙っていました。そうなのです。お分かりになりましたね。〇〇さんと△△さんは仲良しでした。「先生に話したくなったら職員室へお出で」と言って別れました。
 午後の授業でも△△さんの表情は曇っていました。私は予想していました。でも、「犯人を見つけるのではなく、ズックを見つけることが大切」と言ってあったので待ちました。また、「隠した人は悪いことだと思っていたに違いない。でも、隠さなければならなかったその子の気持ちも分かってあげないといけないね。失敗は成功のもとだよ。二度としなければいいのだよ。」と学級指導で伝えたのでした。

 △△さんは、表情が暗かった原因を、先生に話せたのか? 

 放課後、△△さんが職員室に入ってくる姿を見つけました。「どうしたの?」と私。無言の△△さん。「ズックのこと?」私。うなずく△△さん。「隠しちゃったの?」私。うなずく△△さん。「わかったよ。頑張って自分の失敗を認めることができたね。もう泣かなくて良いよ。よく頑張りました。握手。二人の秘密にしておく? それとも、〇〇さんに誤る。」と私。「謝るのなら、先生がついて行ってもいいよ。」と私。「謝る。」小声でしたが、△△さんの表情はさっきとは明らかに違っていました。

 放送で〇〇さんを職員室に呼びました。「△△さんが、〇〇さんに謝りたいんだって。」と私。〇〇さんは分かったようでした。もじもじしている△△さんから声が出るまでには時間がかかりました。〇〇さんは待ちました。「ごめんなさい。」と△△さん。〇〇さんは「もういいよ。」
 ドラマだ。青春のドラマだと。私一人が感動していました。「〇〇さん。△△さんを許してあげられるのだね。」と私。「ハイ。」と〇〇さん。△△さんの表情は別人になりました。「この話、みんなに聴かせてもいい?」と聞くと、二人とも首を振りました。「駄目!」とね。職員室から出で行く二人の後ろ姿を見ながら、お家の人にどう話せば良いのかな。と心配になりました。

 夕方、何を言うか思案していた時、電話がかかりました。〇〇さんのお家の人からでした。「先生。娘に聞きました。いつも△△さんとは喧嘩ばかりしているですよ。〇〇が△△に悪口を言ったようで悪いのは、家の子ですから。ただ残念なのは、先生に新しいズックを買ってもらえなかったことです。」受話器の向こうで微笑んでいる母がいました。

 「支える話の一例」になっていないように感じますが、学校ドラマとして載せておきます。
 

教師への接し方

何が教師の情熱を支えるのか
 脳科学が発達しいろいろな事が解明されてきました。特に、私が印象的だったことは「脳の記憶」です。人間の脳の記憶は、6~7割がプラスの記憶だそうです。この割合を聞いて「なるほど」と感心しました。「質問コーナー」ページをご覧頂くと分かりますが、高学年の担任が多かったです。

 「4→5→6年。4→5→6年」と2回連続で3年間続けて担任したこともあります。以前は「1~2年。3~4年。5~6年」の2年間は同じ学級でしたので、「4年」で担任した子達の四分の一(その学年が4学級だったので)が「5~6年」での学級にいました。
 3年連続担任した1回目の5年生の4月。「先生は、ひいきをしている。」と子ども達から抗議がありました。理由は、4年で担任していた子には「〇〇ちゃん」と呼び、その他の子は「〇〇さん・〇〇くん」と呼んでいたことでした。その子ども達が三十歳を過ぎて同窓会をした時も、この話題が出ました。「ひどい先生がいたもんだ」と思いました。ですが、こんな記憶は私にはありませんでした。思い出として残しておきたいものだけが残っていたのでした。忘れていたのでした。

 まさしく「記憶の6~7割はプラスの記憶」を実感できた自分がいました。先日「H25年5月」、ひいきをしたと抗議された学級の数人が集まり、私の退職祝いをしてくれました。集まった子ども達(既に結婚し、子持ちのお父さん・お母さん)を呼ぶ時、「〇〇ちゃん」「〇くん」「〇」と、呼び捨てなどばらばらでした。
 教師を続けて来られたのは、子ども達の出会いと別れがあったからだと思います。確かに、情けなかったり、悔しかったり、二度と〇年生持ちたくないと思ったり、その時の心持ちには様々なものがありました。ですが、卒業式や学級じまいでの子ども達の成長した姿を見た喜びや、もう二度と同じ学級で生活できないと感じた別離の気持ちが、よりよい思い出として残り、次への意欲となったと確信しています。

 教師の教育に対する情熱を支えたのは、子どもの姿である。

 我が子が小さい時、「学校の先生になる?」と尋ねたことがあります。「子どもと遊べないから、先生にはならない」と返事をもらいました。以前は、子ども達と向き合う時間があり、学級の子ども達と遊びました。我が息子の言うとおり、我が子と遊んだ時間より学級の子ども達と遊んだ時間の方が遙かに長かったです。
 教師が子どもと向き合う時間の確保が、教師のエネルギーを貯蓄するのであれば、その必要性は多大です。しかし、まだワープロ時代でパソコンに振り回されている現代とは違ったいい時代の話です。
 現在の仕事量では、時間の確保は絶対に無理です。まして、子どもと遊ぶ余裕のもてない教師は、疲労感だけが残ってしまうのではないでしょうか。

 では、どうしたらよいのでしょうか? 



どうしたら、教師の情熱を奮い立たせるのか
 結論は、忙しく働いた仕事量を達成感や充実感に替える。

 私が教師になった昭和50年。私は22歳の無知で未経験の若造でしたが、お家の人達や地域社会、特に高齢者の人達は「教師に対して尊敬の念」をもっていました。ですから、丁寧に対応されました。私も相手側の丁寧さに答えようと頑張りました。

 現在は、いかがでしょう? 

 私自身は、教師の仕事は崇高で素晴らしい職業だと思っています。ですが、前に載せました私事化等を含め、社会情勢や価値観の変化により、「教師だからすごい」というのではなく、「〇〇先生ならすごい」と、職業ではなく個人に焦点が当てられ、評価される時代になったことは事実です。

 多忙感を充実感や達成感に替えるためには評価が必要です。その評価者の第一人者が本人です。二度のオリンピックでメダルを獲得したマラソンランナー有森裕子選手が言った「自分を自分で誉めてあげたい」のように、自分で誉めるのです。第一人者と言うより一人称です。
 子ども・同僚・先輩・保護者・地域の人達・管理職など、評価者は大勢いますが、直接本人へ届き、本人が実感できるのは、職場の人達です。特に、主任や管理職からのその時・その場での評価が達成感・充実感につながります。

「先週の金曜日の国語の授業は、良かったね。子ども達のやりとりは深かったね。また、見に行くね。」

 この評価は、授業を見たすぐに聞きたかったと思いませんか?確かに時間が経過していても「プラス評価」はやる気を向上させますが、やっぱり、その時が良かったですね。
 私が研究授業を拝見させてもらったら、必ず、子ども達に言葉を贈ることにしています。まだ2学級ですが、言葉を贈ってきました。ブログを参照してください。

 通知表を付ける時期になると、私は言います「けなしても子どもは育つことはない。子どもは誉めてこそ育つ。だから、AかBか迷った時は、プラスをとってほしい。」とね。
 私は、2年生の九九検定を校長室でしていました。フラッシュカード10枚を提示し、間違えないで言えると、私が作成した「九九検定合格証」がもらえるのです。九九でも先生方に言いました。「九九で苦労した先生は、少ないようです。先生は学力的には子どもの時から優れていたようです。でも、私は苦労しました。九九も覚えられなかったし、時間や時刻も理解できなかったです。ですから、できないことを責める言い方ではなく、苦労したことは絶対に忘れないよ。と、励ましてください。」とね。
 九九検定は4~5年間行いましたが、その当時2年生だった全員が合格しました。そして、全校集会の時などで、2年生の努力に、全校で拍手を贈りました。

 話題が逸れましたが、教師のモチベーションを向上させるためには、その時・その場での評価が必要なのです。これは、教師だけではなく、子どもにも当てはまります。
「誉められたチーム」と「指摘されたチーム」の仕事量は?
 (アメリカのある大学で実験した報告です)
 AチームとBチームに分け、パソコン入力の作業をする実験でした。もちろん、参加した学生には、「データーを入力してほしい」とだけしか言ってありません。両チーム同じような実績の学生を集めて、作業をスタートしました。

 1日目の作業が終了した後、Aチームには「褒め言葉」を伝えました。「皆のお陰で3日間が2日間で終わるようです。とってもうれしいです。ありがとう。明日もあるから、今日はゆっくり休んでください。」Bチームには「本日の実績」を伝えました。「今日の作業の打ち間違いは〇〇個で、的確だったのが〇〇個でした。明日もありますから、今日はゆっくり休んでください。」と。

 次の日の作業効率は、Aチームは、前日より誤字は少なく時間も短縮できました。Bチームについては、前日より誤字が増え、作業時間も多くかかりました。
 いかに、評価の違いが、意欲の違いにつながるかをご理解頂けたと思います。脳科学の発達によって、「誉められることで、脳が活性化し、モチベーションが上がる」ことが分かってもいるようです。

 自分の職場で、その時・その場で、評価できる上司を持っていたら、あなたは幸せです!




オフィス「和み」の役割

エネルギーの充填・補充と人間観・教育観の再生を
 私は教育現場を退きましたが、私の体験を参考にして、教育現場で頑張っている先生方の参考になればよいと思っています。  県内では毎年約350名の先生を採用する時期になっているとも聞きます。オフィス「和み」に公開してある内容が、少しでも小学校教育に役立つことを願っています。

 私の教師生活最後に拝聴した講演は、文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官 杉田 洋氏で、テーマは「子どもが育つ学校づくり~いじめ防止のための学校力・教師力~」でした。杉田調査官からは、次のようなことを感じさせられました。

① 人間は人間にしか育てられない。
   オオカミに育てられた子は、人間にはなれなかった。
② 子どもは子どもの中でしか育てられない。
   だからこそ、集団での教育、学校教育が必要である。
③ 国語教師は、国語の教師でしか育てられない。
   国語サークル・学教研の教科部会が必要と言える。 
④ 教師が変わると、学級が変わる。
   だからこそ、教師自身の見識、人間性を向上させる研修が  必要である。各研修・県外研修から積極的に学ぶ。
⑤内省力がこそ、教師に必要な資質である。
   人は、他人から言われて動くのではなく、「自ら考え・判断
   し・最も適切な方法で実行する」ことが求められています。ま  さしく、そこには「内省力(自分の考えや行動などを深くかえりみる力)」が   必要である。

 教師は、教師でしか育てられない。
  ・教師を志している人  
  ・教師で頑張っている人  
  ・教師で疲れた人 
  ・教師としてレベルアップしたい人  
  ・子どもの教育で迷っている人 …
 
 そんな人達が、ここに立ち寄った人達が、明日へのエネルギーを充填・補充できるオフィス「和み」になることを願っています。

 人間は人間にしか育てられなかった。言い換えると、教師は教師でしか育てられないのです。
 頑張ってください。いつも応援しています。
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