・「日常生活の中で、何気なく目にした子どもや大人の姿から、教育を考えてみる」コーナーです。家庭教育と学校教育だけではなく、人間教育という観点で、あなたと共に考えていければいいと思っています。
…略…父親が歩いている後ろから、息子が父親のお尻にキックしていたのでした。もちろん、強くではありませんでした。キックされた父親は振り返り、息子の顔を見ただけで何も言わず歩いて行きました。
あなたなら、どうする?
私は昭和28年生まれです。ですから、日本の古いしきたりで育てられました。・布団を踏んではいけない。・人の前を通らない。・だまって食べる。など…。
そして、親子の関係は「長幼の序」が当たり前でした。
※長幼【ちょうよう‐の‐じょ】…《「孟子」滕文公上から》年長者と年少者との間にある秩序。子どもは大人を敬い、大人は子どもを慈しむというあり方。
この両者の関係が当たり前だと思っている私には信じられない光景でした。子どもが大人をキックする関係を築き上げたのは誰なのでしょう。もちろん、大人です。上司を部下がキックする関係は駄目なんだと、振り返った父親が息子を諭さなければなりません。あなたなら、何と言って、諭しますか?
私なら、
「お父さんは蹴られるために産まれてきたのではない。あなたもキックされるために産まれてきたのではないよ。だから、冗談半分でも絶対に人をキックしては駄目。蹴られるために生まれたものだけを蹴りなさい。蹴られるために生まれてきたものを知ってる? 考えてごらん。」
子どもにも考えさせることが大切です。
「サッカーボールは、キックされるために生まれました。ラグビーボールも蹴られることを覚悟しています。でも、バレーボールやドッジボール・バスケットボールは手で扱うために生まれてきので、蹴ってはいけません。わかったね。人を蹴るなんて、我が家では許しません。」とね。
その姿を目撃した母親が私だったら、「キックした息子の足をピシャッと叩いてから、自分の父親を蹴る子は、我が家に入れません。」と、言いますけどね。
キックされるために生まれてきたボールの話は、子ども達の心を育てる効果的な話です。学校教育でも、家庭教育でも、いろいろとバージョンを変えて使って頂くと有り難いです。
①ぼろぼろになった委員会ノートを見て、高学年男子が言った言葉!
高学年男子が「委員会ノート」を見て言った言葉が、目から鱗でした。さて、何と言ったのでしょう。
「4月当初の委員会組織(初めての委員会活動)で、昨年度から使っていた委
員会ノートは、表紙も中のページもボロボロになっていました。」
・あなたが、その委員会担当教師だったら、どうでしょうか?
・あなたのお子さんが持ってきた「その委員会ノート」を見たら、どうでしょうか?
ボロボロになったノートの状態から、子ども達のどんな行動を思い浮かべるかが重要なポイントです。あなたは、「プラス面」と「マイナス面」のどちらですか。
この男子の発言を聴く前の私はマイナス派でした。
「もっと大切に使えば良いのに。」
「こんなボロボロになる前に先生に言って替えてもらえばいいのに。」
などとね。「真新しいノート」と「使い古されたボロボロのノート」の変化は使った頻度が関係してきます。一人だけが使うのではなく、委員会のメンバー全員で担当する曜日を決め、約200日間の委員会活動として「取りに行き・開き・書き・元にもどす」を繰り返すのです。
その子は、言いました。
「ボロボロになるまで使った前の委員会の人達は、すごい!」
と。その当時の私は特活「委員会・クラブ担当」でしたので、昨年度のノートを集める係もしていました。確かめてみると、きれいなノートが多かったです。中を見るとあまり書いてありませんでした。その子は「ボロボロの状態」の中から「活動の跡」を発見できる人間だったのです。
次の年。教室で集めたノートを見て、学級の子ども達に話したことがあります。
「見て、このノート。ボロボロになっているね。」
担任のこの言葉を聞いて、使っていた本人は、怒られると思ったようで、首をすくめていました。
「よく使ったから、こんなに書いたから、ボロボロになったので、頑張った〇〇さ
んに、拍手を贈ってください。」
とね。状態・様子は、目に見えます。しかし、見えない場所での頑張りや努力を推し量ることができる感覚・気持ち・構えは、子どもを育てる時に必要だと思うのですが、あなたはいかがでしょうか?
②教卓に置いた花瓶が落ち、教室の後ろに一人走った高学年女子の姿!
それは風の強い日でした。Aさんが教室に飾るお花をおばあちゃんからもらって登校しました。花係は綺麗なお花をみんなが見られるように教卓の上へ置きました。教室に入った私は「綺麗なお花、誰が持ってきてくれたの?」とたずね、Aさんに「ありがとう。おばあちゃんにも、先生が感謝していた。いや、学級全体で感謝していた。と伝えてね。」と言った日でした。
太陽が高くなるにつれて教室内の気温も上がり、窓を開けて、空気を入れることになりました。開け広げた窓から風が教室を駆け回りました。私も子ども達もその気持ち良さに微笑み、授業を再開することにしました。
その時、Aさんが持ってきてくれた花が風を受けて倒れ、花瓶は花もろとも教卓から落ちてしまいました。「あ、あぁ~っ。」の悲鳴に近い声と共に、花瓶の割れる音がしました。数人が落ちた花瓶を何とかしようと、教卓の方へ駆け寄りました。ですが、Bさん(高学年の女子)だけは、教卓とは反対の後ろに走っていったのでした。
・あなたが担任だったら、なぜBさんは後ろに走ったか、理解できますか?
・あなたのお子さんなら、教卓側へ走り寄る子でしょうか。Bさんのようにする子
でしょうか。何も動かない子でしょうか?
Bさんが後ろに走った理由は、「バケツ・ちりとり・ぞうきん・ほうき」を取るためだったのです。教卓に走ってきた子の中には、ぞうきんを持っていた子もいましたが、一瞬の間に、次を考えて行動したBさんに感心させられました。
教卓から花の入った花瓶が落ちて割れた時、どんな行動をとる子がいるかを考えてみると、次のようになります。
①驚いて声を出す。
②どうなったかを見るために近づく。
③片付けようと近づく。
④後始末をするために道具を用意する。
⑤何もしない。見ている。 など…
Bさんが取った④の行動は、一瞬に考えたのではなく、以前に体験したからでした。家でBさんが牛乳をこぼしたとき、母は近寄らず、布巾をとるために遠ざかって行きました。Bさんは母が自分を見捨てたと思ったようでしたが、もどってきた母の手には布巾があったのでした。
私は、教卓に駆け寄ってきた子にも、ぞうきんを持ってきた子にも、Bさんにも、そして、驚いて声を出した子にも、感謝の拍手を贈りました。それは、「Aさんが持ってきたお花を大事にする思いがあったから、行動にあらわれたのだ。」と。
状態・様子から「気持ち」などを推し量ると同時に、行動からも「気持ち」を推し量ることができます。子育てに必要な感覚だと思うのですが。