オフィス「和み」

ネットで「小学校教育」を支援・助言します。

合掌・帽子・英会話
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「あなたなら、どう観る?」コーナー!

・「日常生活の中で、何気なく目にした子どもや大人の姿から、教育を考えてみる」コーナーです。家庭教育と学校教育だけではなく、人間教育という観点で、あなたと共に考えていければいいと思っています。


3.「いただきます!」と手を合わせる親子

 「ファミレスでの親子の姿」から、考えされられました。

 ・あなたの学級では、食事をする時「頂きます」と言っていますか?
 ・あなたのご家庭では、「頂きます」を言っていますか?

 「はい!」という返事が聞こえるようです。ファミレスで私が見た親子(父親・母親・低学年の娘・未満児の赤ちゃん)も「頂きます」をしていました。家庭とは違ったファミレスでも「頂きます」の可愛い声がしたので、それだけで感心させられました。私も手を合わせ小声で「頂きます」と言って、箸を持とうとした時、こんな声が聞こえてきました。
「パパ。どうして、食べる前に頂きますと言うか、知っている?」
低学年の娘の声でした。父親は、食べ物を口に運びながら、うれしそうに、
「パパは、知らない。〇〇は知っているの?」
「あたし先生の知っていたよ。」
母親もニコニコしながら娘も見て、微笑んでいました。娘さんは続けました。
「命を頂いているから、その命に感謝して、頂きます。と言うのよ。私のクラスで知っていたのは、半分もいなかったよ。」
 父親は、
「〇〇は、頂きますの意味知っていたの?」

 私は、ここに人間教育が存在すると感じました。人は産まれ社会の中で生きていくためには、子どもが学ばなければならないこと・大人が教えなければ知らないことがいっぱいあります。その1つである「頂きます」の意味を、親や先生は子ども達に教えているのか?

 父親の質問に対する女の子の答えを待ちました。
「私は、ママから教えてもらったよ。ママは、食べ物を残してゴミとして捨てると命を捨ていることになるって。」
 母親は赤ちゃんに食べさせていて、娘の話を聞き逃したのかもしれません。私は、「いい話だ。いい母親だ。」と、感動しました。
 父親は、「ママってすごいね。」と言い、「残さず食べよう。」と箸を進めました。

 私は、「父親の娘に対する対応の良さ」に感心しました。本当は知っていることだけど、娘に話させたくて、知らないと言ったのでしょう。さらに、「〇〇も残さず食べなければならないね」と相手に押しつけるのではなく、「残さず食べよう」と自分に語った父親は、まさしく、「1)集団作り⑤PTA講演会などで、よく言われるフレーズ「親の言うとおりに育つのではなく、親のするとおりに育つ」の姿だと感動しました。
 教え導いた「母親」も素敵です。教師ではなかったと感じたのですが、素晴らしい人間教育です。そして、母親に教えてもらったことを忘れずにいた娘も凄いです。
 この日は、「★★★★(4つ星)レストラン」の昼食になりました。

 食事の前に「頂きます」という人はたくさんいます。素晴らしい姿です。ですが、「いただきます」に隠された気持ち・願いを感じて食事をしている人はたくさんいるのでしょうか。
 今後も、大人(親や先生)は、「命を頂いている」という意味が「頂きます」「ごちそうさまでした」という言葉に隠されていることを教えて続けてほしいです。また、
子ども達に教える「人としての生き方・考え方」を、導きとして大人が見せることが重要な人間教育だと考えます。

 言うは易く行うは難し! と言います。あなたは、いかがでしょうか?




4.「帽子をとって食事する」若者

 A→食事の時、帽子をとらなくても、いいじゃない。
 B→「頂きます」の考え方だと、とるのが当たり前じゃない。

 ・あなたは、AですかBですか、どちらの考え方ですか? 
 ・デート中に、相手が帽子をとらなかったら、「あなたは?」

 私は「B」です。しかし、デート中に相手が帽子をとらなかったら?。自分で質問しておきながら、自分自身で答えてみると、「相手に帽子取って食べよう」と言えるか自信がありません。それは、人間関係の成立度が発言力になると思うのです。…が、やっぱり「食事中は、帽子をとろう」と言うと思います。

 では、遠足や運動会の場では、いかがでしょうか。
 炎天下の子ども達なら、熱中症の心配もありますから「帽子OK」にしてしまいそうです。室内なら「命を頂くのだから、帽子を取りましょう」と伝えます。

 帽子をとって食事する若者を見て、私は「日本はまだまだ大丈夫だ」と思います。「見えないものへの感謝の心」や「畏敬の念」をもっている人が存在することへの安堵を感じるのです。同じように、
 
・自動車が待っている横断歩道を小走りで渡る人。
 ・対向車のために道を譲ると、感謝の合図を出す人。
 ・横断歩道で待っていると、頭を下げて渡る人。
 ・歩道に積もった雪をすかしていると、「ご苦労様」と言う人。
 ・バスを降りるとき、「ありがとう」と運転者に声をかける人。
 ・郵便や宅配便などを配達する人に、ねぎらいの言葉をかける人。
 ・横断歩道で子ども達を見守っている人に「ありがとう」と伝える人。

などなど、「相手への感謝の気持ちや犒いの心を伝えようとする人の姿」から、未来の日本を想像することができるのです。

 ・家庭では、子どもは親の姿を見て成長します。
 ・学校では、先生の姿を見て子どもは価値観を確立します。
 ・地域では、社会での人間関係を学びます。
 日常生活の些細なことの繰り返しが、子ども達に影響を及ぼします。話題として取り上げた「食事の時、帽子をとる」行動は、これまで歩んできたその人の価値観が反映することになります。その人に影響を与えた周りの人達の存在こそが今後の日本を築き上げるのです。 

  この話題については、投稿者から意見・考えを基に、内容を載せようと思っていたのですが、反響はありませんでした。当たり前ですね。あまり知らせていないのですから…。



5.「英会話で」関わり合いの姿

 小学校の英語教育で、「AがBに物を渡す場合」、次のような内容の会話を学習します。

 ①A Here you are. / Here it is.    はい, さあ どうぞ
 ②B Thank you.             ありがとう
 ③A You are wélcome.           どういたしまして

 教室で、ALTが子どもにプリントを渡す時、渡す一人一人に「Here you are.」と声かけします。学習ですから、受け取った子ども達は「Thank you.」と返し、ALTはアイコンタクトで「You are wélcome.」と答えるのです。
 もらった子ども2番目の子どもへ、「Here you are.」→「Thank you.」→「You are wélcome.」と…。教室の全員が「会話」を学習するのです。

 この「はい、どうぞ」「ありがとう」「とういたしまして」の言葉のやりとりの中に、人間関係作りの大切なポイントがあると思います。

 お家で「おかわり」と子どもが差し出したお茶碗にご飯を盛った後、
母…「どうぞ。」
子…「ありがとう。」
母…「どういたしまして。」          こんな会話になる家庭。

 教室がお便りを子どもに渡す時、  
先生…「どうぞ。」 
子1…「ありがとう。」
先生…「どういたしまして。」
子1…「どうぞ。」
子2…「ありがとう。」
子1…「どうしたいまして。」         こんな会話が成立する教室。

 素敵ですね。
 ここで疑問に思うのは、「渡すとき」「もらう時」「もらった後」の言葉を子ども達に教えるのは、英語教育ではなく国語教育のはずではないか。ということです。

 ・親に対しての朝の挨拶は「おはよう」ですか「おはようございます」ですか?  ・子どもに次のような声をかけると、どんな返事が返ってきますか?

①先生「掃除、頑張っているね。」  子「 ? 」
②先生「気をつけて、帰ってね。」   子「 ? 」
③先生「君たちの姿は最上級生として素晴らしい。」   子「 ? 」
④先生「1年生さん。頑張って登校してきましたね。 子「 ? 」


 ①~④とも「はい」ではないでしょうか。うなずいたり、無言だったりする子から比べると、「はい」と返ってくればいい方ですね。最近は知らない人から声をかけられると不審者と思われる時代ですから、人間関係作りを促す会話の成立を望むのは間違いなのでしょうか?
 人類は伝えるために言葉を生み出し、残すために文字を創ったのです。個人情報の保護が叫ばれ人間関係の希薄な時代だからこそ、言葉は気持ちを伝えるためだと、感じてほしいですね。


子1…「先生。お代わりください。」
先生…「はい、どうぞ。」
子1…「ありがとう。先生。」
先生…「どういたしまして。頭を使うとお腹が減るね。」
子1…「体育で体も使ったから、お腹、ペッコペコ!」
先生…「体を使った人。頭を使った人。お代わりどうぞ。」
子2…「先生。お代わり少しずつにしてください。みんなお腹ペッコペコです。」
先生…「君たちは、体も頭も使って凄いよ。今日も、残食ゼロだね。」

 私の体験で言うと、給食を残さない学級は、学校生活で頭・体を使っている子ども達が多くいる教室だと言っても過言ではありません。付け加えておきます。




 言うは易く行うは難し! ですが、子どもを育てる間は、子どものために頑張りましょう。
子どもは未来の国の担い手なのですから…。


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